Amazon.co.jp オリジナルブックカバー プレゼントキャンペーン

ブックカバーの存在意義とは何だろうか。なぜブックカバーが発明されたかといえば、おそらくは「大事な本を汚したくないから(昔は本は高級品だった)」という理由からだろう。でも、僕らの多くはきっと「自分が読んでいる本を他人に知られたくないから」その本にブックカバーを掛けている(少なくとも自分はそうだ)。なぜなら、目立ちたくないからだ。
想像してみればわかる。例えば電車に乗っている時に向かいに座っている人が本を読んでいたら、ほぼ確実に僕はその本のタイトルを確認した後に「その本を読んでいる人間と本がマッチしているか」を考える。その人は推理小説を読んでいる中年男性であるかもしれないし、村上春樹を読んでいる女子高校生であるかもしれない。そして彼らは僕に頭のてっぺんから足のつま先まで観察されるだろう。そして僕にこう思われてしまうのだ―「こいつ何年前の推理小説読んでんだよ、古臭いおっさんだ」「おっ、こんなにかわいい女の子がこんな本読んでるのか、ふーん、やるじゃん。この本のちょうど半分ぐらいを読んでるってことは有名なあのシーンじゃないか?どれどれ、どんな顔して読んでるか見てやろう―」と、まあ少し変態じみたことを書いてしまったが、これと同じことをするのはおそらく僕だけではないだろう(と信じたい)。これの立場を入れ替えたら、ブックカバーを掛けずに本を不特定多数の人の前で読むのは一人で光のページェントの中を歩くのと同じぐらい辛いことであるように思う―というのは少し大袈裟かもしれないが。本を読むことは自らの精神を本の前にさらけ出す行為だといっても良いだろう。でも、そうしている自分を赤の他人に覗き見されるのはあまりいい気分ではない。だから僕らは人前で本を読むときにブックカバーを掛けるのだろう。ブックカバーを掛けていれば、周りの人から見られても「なんだこいつ、一端の読書人みたいに気取りやがって。馬鹿じゃねえの」ぐらいにしか思われない。さらに書店の紙のブックカバーを掛けていれば誰もあなたに注目する人はいないだろう。
前置きが非常に長くなって恐縮だが、このリンク先のAmazonブックカバーについての話をするはずだったのだ、本来は。何だこのデザインは。まるで目立つためのブックカバーみたいだ。お前、ブックカバー見せびらかしたいだけちゃうんかと。誰が欲しがるんだろうなあ。一応材質は皮のようだけど、いくらなんでもロゴが大きすぎるだろう。
ここまで読んでくれた人の中で、こう思う人もいるかもしれない。「人前で本なんて読まなければいいだけだ」まあ、その通りなんだけどね。