東京という街について

正月以来の東京だったわけだけど、前回とは違って自分ひとりで東京の街を歩いたおかげで、東京という町の持つ構造―それは明らかに仙台とは異なるものだ―について色々と考える機会を得た。
二日間の滞在中に感じたのは、東京という街が非常に三次元的な街であるということだ。もちろんこれは地価の高い都市空間においてはわざわざ挙げるまでも無い当たり前のことだけど。例えば東京の地図上のある一点からもう一つの一点に移動する際に、僕らはかなりの回数の階段なりエスカレーターなり(もちろんそれらの多くは駅に存在する)を昇降することだろう。なぜ東京での移動がこのようなものになるかといえば、それはもちろん東京の人口の多さに起因する。道路や鉄道、地下鉄などの交通インフラは二次元的に衝突しないように三次元的に交差している。それらを乗り継がなければ目的地まで到達するのは困難だろう。
それらの三次元的交差が何を僕に想起させるかといえば、都市というものの象徴である「すれ違い」である。成長するためにはすれ違いを拡充するほか無い都市、東京。もちろん東京にも衝突が全く無いわけではない。交通事故も起きれば、中央線も事故でよく止まる。でもその東京という都市の存在条件を考えることで、僕は仙台という街で生活していて良かったな、と思う。いささか過剰すぎるくらいの衝突がないわけでもないが、仙台という街のよさを再認識させるのにこの町の二次元性は何ものにも変えがたい、と僕は思う。