一家に一冊「実践コードワーク」

ぐはは。ES書こうって言った舌の根が乾かぬうちに群像の6月号を読んでるのだが。群像新人賞、はまあいいとして(選評を先に読むとろくなことがない)、対談「物語る力について:町田康×奥泉光」が面白い。「ヨコ(物語)」と「タテ(文章)」で小説を論じているが、その例えでなんとツーファイブの話が出てくる。さっすがミュージシァアンだ。実際町田康奥泉光の『新・地底旅行』に感じた「読ませる力」をトライトーンと例え、具体的にコードネームをG7→Cとしたあとで出てくる発言がすごい。239Pより引用。

町田:それは、そういう設定をだれがつくったというよりも、「ヨコ」の努力という意味で言うと基本のパターンで、それが一回、地底湖みたいな明るいところに出ますね。…(中略)でも、それは僕は偽終止だと思った。つまり、解決したと見せかけて、実は解決しない。Em7みたいなことだと思ったんですよ。…(後略)
ここで僕も一瞬思考停止してしまって、ようやく「ああ、Em7はⅢmだからトニックだよな…」とか思い出したりする。ちなみに僕はあんまり意識してないですよ偽終止。そしたら奥泉光が、
奥泉:そういう比喩でいうと、「ヨコ」の努力ということについて、僕はこの小説に関して、細かくツーファイブみたいなものをつくっているつもりなんです。(中略)…コードでいえば、Dm7、G7の、その前にA7入れて、さらにEm7を入れてと、そういう具合に解決と起伏をつくって、細かく積み重ねて聞かせていこうという、…(後略)
と、いうマジ作曲家モードの発言。でもこれって音楽やってないと多分わかんねえよなあ。そもそも僕がツーファイブ知ってるのも偶然なわけで。文芸評論の文学理論に音楽理論も含まれてる世の中になってるんでしょうか(笑。そのうち、小説書くために『新実践コードワーク第一巻:リットーミュージック刊』(ISBN:4845601664)を読むのが流行ったり、しねえよ。
内容は非常にためになります。『パンク侍〜』も読みたくなってきた。